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心臓手術と臨死体験をするなど4回も心臓疾患の闘病記 18年2月10日神様の元に旅立ちました 娘が代理投函してます


by toubyou53
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14年12月9日採血、胸部レントゲン検査も終わり、卒業検定とも言また11月19日、20日、21日の3日間にわたって胸部縫合、24日、腹部カテーテル手術痕の抜糸が行われた。

この間の11月21日、いまだ若き高円宮殿下が、一人室内テニス練習後,突如襲った心室細動による急死、24日(日)の全国各地で行われたマラソン大会で、3名が心不全により死亡するなどニュースが大きく報道された。

体調すこぶる快調になった11月25日以降は、午前5時頃起きだし院内歩行やストレッチ、太極拳まがいの体操など30分位おこない、時にはこの闘病記を談話室でまとめたりした。
そして起床時間の6時頃には帰室、洗面、髭剃りなどをするなど病棟一の元気よさに看護師さん達も驚いていた。
本来スポーツ型の性格、体質なのであろう。しかしこれが後に「3回、4回の心臓疾患発症の主因」になってしまうのである。

 12月8日心臓エコー検査、壊死をおこして瘤状になっている心臓部分に縫合したパッチも完全に結合、「予定した心臓本来の機能も完全に回復」していることを告げられた。
うべきカテーテル検査を残すのみとなったが、一向に検査連絡がなくやきもきしていたところ、12月11日の午後、談話室でこの闘病記を書いているところに金先生が見え          「明日、12日中にカテーテル検査を行います」と告げられると、何か知らぬが涙腺が緩み、K先生の姿がボーとかすんでしまった。

涙腺など滅多に緩むことのない小生も入院以来気弱になったのか、涙腺の緩む回数が多くなってしまった。

12月12日1時間にわたってカテーテル検査が行われたがK先生は検査結果を何も告げず、無言で立ち去った。
# by toubyou53 | 2006-03-21 23:29 | ICU室から一般病棟に転室
一般病棟の6号室に戻って点滴、服薬等を続けて順調に回復、11月20日に抗生剤を含めすべての点滴の打ち切り、服薬のみとなった。                               ところが、手術前から背中にできていた小豆大の脂肪の塊が、大きく腫れ上がり、血液の炎症反応が13mg、dlとなったので11月22日T沢先生が切開、血膿を搾り取ったが再び抗生物質を5日間も点滴する羽目になってしまった。

 しかしそんなトラブルはあったものの順調に回復、心身ともに爽やか、鼻歌でも歌いたくなるような晴れ晴れしい気分になった。                                      なお、介護師指導による歩行訓練は

 ◎ 11月16日  20m  ◎ 11月18日  50m
 ◎ 11月19日 100m  ◎ 11月20日 200m
 ◎ 11月21日 500m  

と歩行訓練も順調に進み以後、リハビリ室に通ってストレッチ、自転車乗りなどを行って体力の回復に努めた。
# by toubyou53 | 2006-03-20 21:14 | ICU室から一般病棟に転室
      ICU室から一般病棟に転室、加療退院まで

手術終了後収容されたICU室では、酸素吸入、降圧剤、心臓強化剤や感染症防止の抗生物質剤の点滴などの治療を続けた。

そして手術の翌日より介護師の指導により軽い手足の動きなどの初期的リハビリが行われる。
手術時に起きやすい感染症、腎臓、肝臓不全と、その合併症は併発せず、また、体外循環後痰(喉からの痰)はきわめて軽く、苦しみや手術後の痛みはまったくなく、鎮静剤は一度も使わず順調に回復、予定通り4泊5日14年11月15日、四階循環器系専門病棟6号室(術前5号室)に移された。

ICU室は親子、兄弟、親戚等との偽ることのない心情、愛情が吐露される場であり、脳出血などでまだ意識不明の父、母、交通事故で重篤の夫などに対し

「お父さん、お父さんがんばって、頑張って。」

「○○子よ、わかる お母さん頑張って、生きるのよ。生きるのよ。死んじゃーダメ、ダメ、ダメ。」

「あなた、わかる私よ、死んじゃーいやよ。○子もここにいるの。
あなた生きるのよ、死んじゃー駄目よ。生きるのよ、
生きて死んじゃーあーいやよ。生きるのよー。生きるのよ。」

などなど、思わずベットの上で「もらい泣き」してしまった。
 小生も、意識が完全の戻った手術翌日の午前9時頃、ICU室で面会が許されたが、妻や長女の顔を見た途端、思わず涙腺が緩み「俺は生きていたんだ」との感情がこみあげ、思わずベットの上から手を伸ばし、妻と長女の手をしっかりと握り締めたのである。
# by toubyou53 | 2006-03-16 09:37 | ICU室から一般病棟に転室
以下、手術後の14年12月12日午後7時頃、執刀医T沢先生の施術概要の説明

 午前9時 全身麻酔開始、1時間経過の午前10時開胸執刀、医療用ノコギリで胸骨結合部切断、医療用器具を使用して胸部を広げる。

(1) 人工心肺装置を使用し、心臓への血液の流れを完全に遮断手術を開始、心臓は完全に停止し可及的速やかに蘇生させなければ「死」に至る。

(2) 右、左胸近くの内胸動脈を剥離切断し、環状動脈2本のバイパス施術。

(3) 心室形成手術(通称 ドール手術)

心臓は、心室、心房二つずつ四室よりなるも左心室駆動率が「正常値の60%が35%に低下している」ので駆動率アップの施術。
駆動率が低下している原因は心筋梗塞により心臓の一部が壊死、瘤状になり、この部分に血液が流れ、血流を乱して心室全体の駆動率を下げているのでこの壊死部分にメスをいれ、直径3センチの人工パッチを縫いつけ、血流の流れを阻止したところ駆動率は、45%に向上した。今後もアップが期待される。

(4) 大静脈弁狭窄症兼閉鏡不完全症

左心室から大動脈に血液を押し出す際、血液が逆流しない働きをする弁がやや悪い。しかし健常者にも見られる症状できわめて軽症、手術の要なし。
以上の手術をしてから「3時間余停止させていた心臓を蘇生」させ、状態の安定を待って閉胸皮を医療用ホッチキスで止め、午後7時頃、10時間に及ぶ大手術は無事完了。

しかしこの間、本人は意識が全くなく夢の中、ICU室に運び込まれ、待機していた妻たち4人との面会があったが、身近に人の気配が感じられるものの、目が開けられない、口が聞けない状態であったが、妻は死との対決に勝ち、まだ顔面蒼白の小生を見てうれし泣き声で「涙が出てしまうわ」言っているのがはっきりと聞きとれた。

死に打ち勝ったと言うよりも、T沢先生以下スタッフの方々の高度にして最新の医療技術が「死に神」を追い払い、生還できたもので、家族ともども心に手をあわせ、深く感謝とお礼を申し上げる次第である。

 その夜(11日)午後10時半頃意識は完全に回復したが口の中はカラ、カラ、無性にのどが渇くので冷たい水を二口飲ませてもらったが、その水の上手かったこと、この世にこんな上手いものがあったのかと思わず「甘露、甘露、甘露」と三回も叫んでしまったのである。
# by toubyou53 | 2006-03-14 21:57 | 手術決行

娘よりの投稿

<猪突猛進型の心臓の強い長女って(笑)
たしかに 私(娘)は 心臓が強いかもしれません(^^ゞ
手術室に向かう父に 「がんばって!」と言って握手をして別れました。
待合室で 長い間手術が終わるのを待っていると おなかが空く のどが渇く‥
手術自体は 特に心配はしていなかったのですが 
(優秀なスタッフ 先生方が 最善を尽くして執刀して頂いているので)
ズ~と 座って何もしないで 待っていると言う行為自体が 疲れました。
母を誘って 途中でお昼にスパゲッティを食べたのを思い出されます。
普通に お腹が空いて 全部平らげてしまいました。

それと 父が胃がんの手術をした後 いよいよ危篤になって 朝方病院に向かう時
でさえも ドライブスルーで ハンバガーを頬張り 長引いて徹夜になった時のことを
考え寝袋まで車に積んで行きました。
なんで そこまで冷静だったんだろう?
心の中では 父は絶対に大丈夫だと 信じていたからだろうと思います。

父が居なくなって まだまだ実感は沸きませんが 実家に行くときに 入院していた
病院の側を車で走るときに
あぁ あそこには もう父が居ないんだなぁ と 少し寂しい気持ちになりますねぇ
# by toubyou53 | 2006-03-11 23:55 | 神様の元へ旅立った父 娘より